これまでフィルインでは血で血を洗う抗争が続いてきた。その中を生き残った者の使命として、また後世への教訓とするため、ここに真実を記そうと思う。同じ悲劇が二度と繰り返されないことを願う。
前史
アルピエル指定暴力団初代フィルインは伝説的やくざであるみぃNaによって設立され、その後ひろこによってよしお組、時空の民、メモリー戦隊、黄金のハンマー教団などを傘下に加え勢力を拡大させた。しかし、その急速な拡大ぶりに組織改革がついて行けず、末端の組員の間では不満がくすぶっていた。ひろこのカリスマによって一応は平穏を保っていたフィルインであったが、その足元は徐々にヒビが入りだしていた。
第一次クソイベ戦争(謝罪会見事件)
ひろこの性別不実記載発覚
崩壊のきっかけは、ひろこのある疑惑であった。これまで戸籍上ひろこは女性であるとされてきた。しかし実は男性なのではないかという疑惑、いわゆるネカマ疑惑が生じたのである。このことにフィルイン内は騒然とし、アルピエル警察も捜査に乗り出した。
反ひろこ勢力の暗躍
しかし、この騒動には裏がある。そもそも極道界においてネカマ行為はご法度ではない。堅気の世界と絶縁するため、性別を変えることは伝統的に広く行われてきたのである。にもかかわらず問題化したのは、フィルイン内で反ひろこの声が高まってきたことにある。組織が大きくなるにつれ、新参組員と古参組員の間で運営方針やシノギの調整が難しくなり、徐々に新参衆の不満が高まってきていた。そういった背景から、フィルイン内の何者かが全組員に向け怪文書を流し、警察にもリークしたのである。その黒幕についてはさまざまな説があるが、真実はいまだ明らかにされていない。
事態を重く見たひろこは、組員の前で謝罪を行うことを決意した。メンツを重んじる極道の世界で、親分が子分に謝罪をするのは極めて異例のことである。ひろこはこの時、引退まで覚悟をしていたと言われている。かくして平成30年5月2日、フィルイン総本部において全組員出席のもとひろこの謝罪会見が行われた。この日は某人気アイドルグループの謝罪会見の日であり、翌日の新聞紙面を意識したのではないかと言われている。
ひろこ処分
その後ひろこの処遇について、組員の間で話し合いがもたれた。引退すべきだとの声もあったが、さすがに子分が親分を追い出すのは筋が通らない。涙ながらに許しを請うひろこの姿に心を打たれた組員一同は、結局不問とすることにした。しかし、一度醜態をさらしたひろこのカリスマは地に落ちている。その後は幹部会の合議制による組織改革に期待が集まることになった。そしてひろこは会見後すぐアルピエル警察に出頭、20日間に及ぶ勾留の後釈放された。
フィルイン分裂
ひろこに代わり組織の運営を託された幹部会であったが、そもそも複雑に利害が絡むもの同士の話し合いがすんなりとまとまるはずがない。幹部会内部での対立が表面化するのにそう時間はかからなかった。特にLuakiら武闘派はフィルインのメンツを守るためにも、多団体に対して攻勢に出るべきだと主張した。いまだ組織内の地盤を固めきれていない中での攻勢に、他の幹部たちは当然反発。両者の溝は埋まらず、拘束中のひろこに仲裁することもできなかった。ついにLuakiら武闘派は新団体ハッスル黄門を旗揚げ、正式にフィルインからの独立を宣言した。それに対してフィルイン幹部会はLuakiらを破門とし、大規模な抗争へと発展した。
抗争により多くの血が流されたが、ひろこが留置所から釈放されると急速に事態は収束する。警察からは送検しない条件として、抗争の終結および初代フィルインの解散が突き付けられていたからである。6月22日初代フィルイン代表としてきゅっきゅがアルピエル警察本部に解散届を提出。その際今回の警察のやり方に抗議するため、ドスを持って大立ち回りを演じた。この勇敢な行動からきゅっきゅは核兵器の異名とともに、極道界で恐れられることとなる。この時の様子は多少フィクションを交えながら「フィルゲドン」として映画化されている。
二代目フィルイン
初代フィルイン解散直後から、ひろこは後継団体の設立準備を始めていた。とはいえ、一度子分に頭を下げ、組をつぶした張本人であるひろこについて行くものはいない。それでもひろこはかつての栄光が忘れられず、復活を夢見ていた。そんな中少数勢力ながら二代目フィルインの発足を宣言。発足式はワンルームの自宅で行うという、目も当てられない衰退ぶりであった。
graniteの幹部就任
そこに目を付けたのが、元々はフランス料理店の用心棒であり、当時急速に勢力を拡大させていた食べ物閥総裁のgraniteである。彼はアルピエルでも有数の武力を誇る立場であったが、いまだ知名度が低く大きな組織をまとめることは難しいと考えていた。一方ひろこは知名度こそあったが実力不足。この二人が手を組めば一代組織を築くことも可能だと考えたのである。こうしてgraniteが唯一の幹部としてフィルインの実権を握る代わりに、ひろこはフィルインの頭として君臨する二重統治体制が実現した。
graniteは幹部として極めて有能であった。ひろこの知名度と自らの武力を背景に、他組織を懐柔。次々と傘下に取り込んでいった。その勢いはすさまじく、3日で8団体を傘下に収めたことは現在でも「グラタンの奇跡」として語り継がれている。しかし、graniteはそれだけで満足するような器ではなかった。いつかひろこに代わり自分がトップに立つという野望を抱き、組員の多くを食べ物閥に組み込み一代派閥を築いていった。そんな中、アルピエル警察にgraniteを組長とする「フィルイソ」なる団体の設立届が出されていた事実が発覚する。当然フィルイン乗っ取りのための下準備ではないかとの疑惑が出たが、これはgranite以外に組員のいないペーパー団体であり、結局は節税のためのものという説明で決着した。とはいえ、この一件からひろこはgraniteに不信感を抱くことになる。
極道界では江戸時代から作画の文化というものが存在する。極道達が自らの力を誇示するため絵を描いて公表するというものである。フィルインでもそれが盛んに行われた。特に新参者にとっては手っ取り早く自分の力を見せつけるよい手段とされ、またそれが粋とされていた。その一方で年々作画の質が向上し、財政上の負担も問題となっていた。そこでひろこは独断で全組員に対し、傘下団体の財政規律改善のため、今後一切の作画行為を禁止すると発表した。これが世に名高い作画禁止令である。当然新参衆からは大きな反発を受けた。自分の力を示す機会を奪われたと同時に、伝統的な任侠文化すらも否定されたように見えたからである。しかしひろこの真の狙いは別にあった。graniteを通さず自分の力のみで組員を統率し、存在感を示すことが本当の目的だったのである。
新参衆の中で特に禁止令に反発したのは、SpectreXとソアレの二名である。この二人はひろこを公然と批判し、隠すことなく作画行為を行った。日本語を理解できずに作画をしてしまった密入国者のないちゃん2を含む三人に対し、ひろこは即刻破門とする意向を固めた。独断で組員を破門することで、フィルインの最終的な権限がひろこにあることを印象付けようとしたのである。そんな中大事件が起こった。なんと最高幹部のgranite自身が禁止令に違反し作画を公表したのである。graniteにとってもフィルインの実権は自分が握っていて、ひろこは飾り物であることをアピールする必要があった。さすがにgraniteまで破門にすることはできないであろうから、そのまま作画禁止令を死文化させ、ひろこの権威を失墜させようと考えたのである。だがひろこもここまでコケにされて黙ってはいない。graniteを追い出す大義名分を得たとばかりに、granite破門の構えを見せたのだった。
あかいとりの仲裁
graniteがいなくなればフィルインに未来はない。この現状を収めるべく仲裁に乗り出したのがひろこの兄弟分である、あかいとりである。このままひろことgraniteの抗争に発展しては今度こそひろこの命が危ない。あかいとりはひろこに破門撤回の説得を続けた。しかしひろこは一切聞く耳を持たない。そこで、あかいとりはなんと自らも作画を行い公表した。ひろこが最も信頼していたあかいとりの裏切りに衝撃を受けたひろこであったが、すぐにその意図を理解した。いくらひろこでも兄弟分の破門はできない。冷静にフィルインの将来を考えろと、あかいとりは身をもって示すために行動したのである。心を打たれたひろこは、graniteとの手打ちを模索することにした。また、あかいとりはgraniteにも交渉を持ちかけた。敵地ともいえるgraniteの私邸に丸腰で単身乗り込んだのである。命知らずの大胆な行動に驚く食べ物閥幹部一同を前に、あかいとりは手打ちの案を提示する。graniteが矛を収め、ひろこをフィルインの頭として認める代わりに、今回の違反者をあかいとりがまとめあげ、granite傘下に入るというのである。ひろこの兄弟分であるにも関わらず自分に頭を下げる姿にgraniteは感動し、手打ちを進めることに同意した。ひろこを一生の親分と改めて誓う代わりに、組の運営はgraniteに一任するとひろこが公式に宣言。こうして一触即発かと思われた二人の対立は、一人の勇敢な行動により一滴の血も流さず収束したのであった。
今回の禁止令違反者はgranite、あかいとり、SpectreX、ソアレ、ないちゃん2の五名である。禁止令自体はうやむやのうちに死文とされたが、違反者五名には形だけでも何らかの罰を与える必要があった。そこで、フィルイン総本部の廊下に立つという形だけの罰を与えることが決定。このことから、違反者五名を廊下戦隊と呼ぶ習わしが始まった。廊下戦隊は一見新派閥に見えるが、トップはgraniteが食べ物閥総裁と兼務しており、実質は食べ物閥の別動隊と目されていた。こうしてひろこから正式なお墨付きを得、最大派閥である食べ物閥を率い、さらに廊下戦隊を通して新参衆にも影響力を行使するgraniteに逆らうことができる者はフィルインにはいなくなった。「食べ物にあらざる者フィルインにあらず」といわれるgranite黄金時代の始まりである。
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